筆が進まぬい

じいちゃんが死んだとき、なんかピンと来なくて、いわゆる情緒的な悲しみが湧いてこなくて、ふと「あ、もう話したりできないんだな」って思ったら泣いていた。
たしか小5くらいん時。
ばあちゃんが死んだときはもう悲しみはなかった。じゅうぶんに会ったりしなかったかもしれない後悔自体はあったけど、死それ自体は救いだと、もうその頃には本気で思っていたみたいだ。
いなくなって悲しい。もう触れられないのが悲しい。それだけ。僕。全部僕。僕中心。
たぶん親が死んでも、弟が死んでも、「ふつう」ほどには悲しまないだろう。そう予感している。
彼女なら、どうだろう。何度も、何度も、考えた。彼女に関しては、最初から(そもそもの始まりから)、それを考えざるを得なかったってのもあって、すごく考えている。
いなくなるのはいやだ。でも残して僕がいなくなるのもいやだから、そして上手い事一緒に逝くなんて無理だから、僕は必ず彼女を見送る事になる。それがどういう状況/手段になるのか、今は分からない。でも、思ってるよりはちゃんと送れる気もする。そういう人間なのだろう。
僕はお話で簡単に泣く人間だけど、絵空事でないと、泣かないのかもしれない。現実に生きているところに、情緒を持ち込みたくないかもしれない。感情は死ぬかもしれないけど、激しく花開くことはたぶん無いだろう。そうしたくない。わがまま。
 
で、それは僕の話。
 
何が書きたいんだろう。
わかんない。
たぶん僕にとっての死別と彼女にとっての死別は全然違う意味、深み、重みなんだろうな。
改めて思った。
 
あいつらの死に目にあえなかったのは、それ自体は、すごく悲しい。もう会えないのも辛い。結構、気に入っていたし。でもそれを僕が表明する意味はあんまり無いし良くない、という気がする。
彼女の犬が、ふたりとも、行ってしまった。5月と、それから、先日。
妹だと言っていた。
 
生きている限り、これから何度かはあるんだろうなと。思う。
誰の代わりにもなれない。当たり前だけど、当たり前が、結構大変な事かもしれない。
空席は埋まらない。
 
…何を書きたいんだろう。本当に。なんかほんとは全然違う何かだった気がする。