それはそれとして

日記を閉じたのは良かったのか悪かったのか、まだ分からない。
ここに割く脳のリソースが空いたのは多少良かったのかもしれないが、その分、外部視座がない状態で行動しなければならなかったって事になるのかもしれない。その視座は僕にいい縛りをもたらしていたのではないか、とも思う。
なんにせよ、日々が失われてしまったのは痛い。具体的に失われたわけではないけれど、僕はどうもいろんな経験を非言語化・カオス化して「印象として」脳にしまっとく癖があるらしく、ここの備忘録としての機能には本当に助けられていた。今更気づく。
たぶんもう、こういう形での休止はしないと思う。